2007年02月03日

「最高のクリスマスイブをくれたジンバブエファミリー」

 みなさん こんにちは! 
1年の世界一周も残すところ3ヶ月をきりました。
現在地はエジプトカイロ(で書きましたが、現在地はイエメンサヌア)。
久しぶりの北半球に入り、カイロは日本と同じ冬。
さむかったです。
(ここサヌアはちょうどいい気候です。)

 今回は、ジンバブエのお話。
題して・・・
「サイテー?の国で、最高の出逢い!」

 「サイテー?」なんていう言葉使うのは、本当に悪い、ごめんなさい、という気持ちですが、ジンバブエは今、本当に大変な国だということを分かってもらいたくて、使いました(許してください)。
でも、考えようによっては、今から始まる国(独立して、白人による経済の実権の巻き返し?しようと頑張っている)なのかもしれません。
そんな大変な過渡期のジンバブエにちょっとだけ接することができて、本当によかった、今ではそう思えるのですが・・・・・

実際、いたときは、もうー本当に大変でした。
なにかあったわけではないのですが、何かが起きないための緊張感は・・ほんとしんどかった。

 なんでかっていうと・・
 まずはこの国のケーザイ。
(難しい経済のことはよくわからないので、私が覗いた一部分という意味でカタカナにシテマス)数年前、ここジンバブエでは、経営を握っていた白人(アフリカでは差別がなくなったと言えど、白人経営・黒人使用人という関係が根深い)を追い出して、(長い黒人差別の中でお互いが対立)結果、経済が破綻。たくさんの人が失業し、紙幣価値はどんどん下がり、これまで貯金していたお金も紙キレ同然になり、それなのに物の物価が上がり、故に物を買えない人が増え、乞食同然の人や、路上生活者、路上タムロ者が増え、強盗強奪がたくさん起きて・・・

 ということが、今現在も、ここ数年に渡り、続いている国なのです。

 じゃあ、なんでそーゆーところに行くの?と思われるでしょうが、もともとのジンバブエはとても安定した経済を持っていて、人もよく、フレンドリーで、治安も比較的いいし、物価も安く、自然もたくさん。
その経済が破綻する数年前までは、バックパッカー天国とよばれていたぐらい、過ごしやすいいい国だったそうなんです。

 だから・・・行ってみたかった。
それに、私達は南アフリカからアフリカ大陸を北上しているわけですが、(子供達を)マラリア感染からどうしても避けたいために、低地を避け高地を選びながら旅をしています。
その点、ジンバブエは首都のハラレは高地で、大丈夫そうだったんですね。
洗練された南アやナミビアとは違うブラックアフリカを感じたい!と思って来たのです。

 でも、行って・・私は正直、まいったなあと思ってしまいました。
 
 私達はナミビアからバスで20時間以上かけて、ビクトリアフォールス(世界三大瀑布のビクトリアの滝)↓の町からジンバブエ入りしました。

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 この町は、世界中から観光客が集まってくるいわばジンバブエ一のドル箱。
私達がいたときも、たくさんの大型観光バスがきてて、日本人団体、韓国人か中国人の団体、欧米人団体も大勢。

 でも、みんな歩かない・・。

 歩いたら、キケンです、って言われているから。

 で、店もスーパーも閉まるのがやたら早い。
ビクトリアフォールズでは5時すぎにしまっちゃう。
それを合図に、パタッと極端に人通りがなくなり、まだ、明るいのに、歩くことを躊躇する不気味な雰囲気。
 
 スーパーにはろくなものない、というか、買いたくなるようなものが、ない。
外国製品なんて一切ないし、ポテトチップスとかどこにでもあるスナックがジンバブエ産で、まずくて食えない。
ほこりかぶって変形した缶詰めや、うさぎのえさにしか見えない人参、新鮮さも清潔さも失われた肉・・。
 
 また、スーパーを一歩出たら、物乞いや路上タムロ者たちが、何かくれよ、と腕を引っ張ってくるんです。
買ったものをねらっている。
同じ黒人でも、南アやナミビアにはなかった目つきの悪さ、するどさ、あやうさ・・。
(ハラレには外国製品も売っている高級スーパーもちゃんとあったことはあった。)

 お金は銀行取引はできないんです。
なぜなら、公式のレートは1米ドルが250ジンバブエドル(以下z$)。
安食堂で食べる最低ラインの庶民食が2500z$、米が1キロ3000z$するんですよ。
これじゃー何も買えません。

 なので、旅行者は外貨を闇両替するんです。もちろん、闇両替は違法で、見つかるとタイホだそうですが、まあ、みんなやっています。
この闇レートでは、1米ドルが、(私達がいた期間もずっと価値が下がり)2000z$〜2600z$。
公式と10倍違うわけです。
しかも、信じられないことに、紙幣にはナ・ナント有効期限が入っている!んですよ! 
大抵が2007年12月となっていましたが、その近くになったら混乱おきますよねー。
有効期限過ぎたら、ただの紙切れになっちゃう!!

 そして、この違法闇両替につきまとうキケン。
違法だからして、どこでだれとチェンジするかを選ばないといけない。
これを間違えると、ひどいメに遭うことに。

 ナミビアからジンバブエのバスで一緒になった韓国人男性は、路上で交渉した両替屋と話が成立して店に入り、100米ドルを交換した。
両替屋は先に米ドルをよこせといい、それを丹念に裏返したりして見ていた。
これは時間稼ぎ。
そして、入り口にいたもうひとりの男が、
「警察だ!」
と叫ぶ。
「見つかったらお前もタイホだ。さあ早く!これ(ジンバブエドル)を持って出ていくんだ」と。
男は、丸めてゴムで留めた札束を韓国人ににぎらせ、さっさと出ていくように指示。

 あとで、その札を確認すると、一番上だけが10000ジンバブエドル(4〜5米ドル)で、あとは1ジンバブエドルだらけだったらしい。
もちろん店は架空の店で、現実にはない。
警察が来たこともうそ。
よく使われる手口らしいです。

 闇両替がちゃんとできても、それでも、物価が高い。
特に、乳製品、肉製品。ハム、ソーセージなんて異常。
(普通のハム5枚で10000z$=400円!とか)

 なので、スーパーで肉系を買って出てくると、袋はもちろん透明ではなく白地で中身は見えない袋であるにもかかわらず、肉の容器(トレイ)の形がわかるらしく、変な人などから、ツンツン、「いいなーお肉う」
という異様な目を投げかけられるんです。
ぞっーとしますよー。
とにかく、何か持ってちゃダメ。
スーパーの袋は、スーパーで何か買う資力があるということなんで、それだけでねらわれている!感じなわけです。

 出歩けるのは日没まで。
明るい時間帯でも安心というわけではありません。
もともと、人口密度が高くないので、ほんのちょっと町の中心からはずれると人が歩いていないんです。なのに道だけは広くて、街路樹が低く広がって、それがなんとも言えない目隠しにもなって、どっからかふいに人が現れると身構えしてしまう雰囲気。
また、何もしていない、路上たむろ者がやたら多くて、これが、なんとも異様でこわい。

 なので街を歩くときの緊張感は計り知れないんです。
すれ違う人は強盗かもしれない、誰かからつけられている・・など最初のうちはホトホト疲れ切っていました。
こんな気持ちは子供達に直接伝わるし、子供達にも注意を促さないといけない・・。
人を見たら泥棒に見えてくるんです、ほんとに。
これは、精神的にもかなりのダメージ。
自分もしんどいけど、子供達もしんどい。
こんなことなら、この国にこなければよかったと。

 実際、これまで聞いたハラレ情報はこんな風・・、

「ハラレはキケンなんで、みんな素通りしてますよ」
「フィフス・ストリートだけは昼でもとおっちゃだめですよ。あそこは絶対日本人ヤラレますから、強盗に」
「フィフスは通らずにシックス・ストリートから迂回するように」
「長距離バスは、その危ないフィフスの通りが始まるホリデイ・インに停まるけど、パーム・ロック・ビラ(日本人が集まる宿)までたった200メートルだから、歩くのね。でも、荷物持ってる時は歩いたらダメ。そのたった200メートルの距離でやられる、らしいよ。」
「荷物持っている時や夜遅くなったときは、どんなに近くてもタクシーに乗っったほうがいい」

 安宿がこの危ないフィフス・ストリート近くに集まっているのです。
日本人がよく泊まっている安宿(パームロックビラ)もフィフスとシックスの間。
また、繁華街から、ファースト・ストリート、セカンド・ストリートと順番になっているために、
「まあ、ちょっとなら、大丈夫やろ。迂回するのめんどくさい」
と思ったりして、そのちょっとの判断ミスで多くの人が襲われている、のだそうです。
(私達がハラレに来た前日も、日本人男性が夜7時に3人組強盗からリュックとサイフを強奪された。)

 誰だって、強盗には遭いたくない。
私達は一度アルゼンチンでやられていることもあって、強盗は恐いし、そして、何より人のもの強奪しやがって腹が立つ!
やりかえしたい!
しかし、できない、と悔しいばかり・・なので、かなり慎重に行動していました。
結果、何事もなかったけれど、とにかくこんなに町歩きに疲れる国はないですねー。

 というわけで、ヤなことグドクド書きましたが、こんなジンバブエで私達は素晴らしいジンバブエ人ファミリー(2家族)と出逢ったのです。

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彼らとの出逢いはジンバブエの印象は180度変わったのです!
そう、ちゃんとしている人はちゃんとしているんです!

 彼らとは、ブラワヨ(第二の都市)のバックパッカーズ(ホステル)でたまたま一緒になったのです。
弁護士ファミリーは5人家族、会計士ファミリーが4人家族。
子供達が同世代だったことや、宿の共同キッチンでの”ゆずりあい”から、なんとなく仲良くなったんです。

 彼らは毎年この時期に1週間の休みをとって、ビクトリアフォールにドライブにいくそうで、今回はその帰り。その夜はいろんな話に花が咲きました。

 翌日彼らもハラレに帰る予定で、バスでハラレに行く予定だった私たちをマイカーに乗せてあげると言ってくれたのですが、6時間の長時間(彼らファミリーが)キュウクツになってしまうので事態。
それでは、ハラレで会いましょう!と。

 で、私達の泊まっている宿に電話をくれたり、わざわざ仕事中の休み時間、会いにきてくれたり。
そして、クリスマスイブの日に、家に招待してくれました。

 おいしいジンバブエ料理に歌にダンス。

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夢のような楽しい時間!
こんな、ただ、旅先の宿で一緒になった私達なのに、家に招待してくれ、おごちそうしてくれ、それも、大切なクリスマスイブの日に!

 彼らの家を見せてもらい、生活を教えてもらいながら、なるほど・・・と思いましたね。

 まず、保存倉庫があって、保存できる食料その他(米、とうもろこしの粉、缶詰、飲み物、他いろいろ)は大量に購入しておくこと。
物価は日々上昇しているので、ちょこちょこ買いは損をするのでできるかぎり買って保存。
野菜も果物も畑でつくる。
肉は、鳥は1羽、やぎは1頭単位とでかく買い、家庭でさばく。

 会計士さん宅は、ひよこからニワトリに育てているし、会計士というおそらく安定した収入はあるのでしょうが、奥さんが果物ジュースとかを作って販売。
このジンバブエを生き抜く工夫をいろいろしているんです。

 夢のようでした。
本当に。
ああ、旅をしてよかった、ジンバブエにきてよかった。

ありがとう!

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 ジンバブエ、最高!(ゲンキン・・) 

つづく。。。

久米美都子42歳 福岡在住 (夫47歳、長男小5、次男小3)
旅行会社勤務を経て1994年ひとりで世界一周。
帰国後結婚、出産。その間も近場のアジアをちょこちょこ子連れで旅行。
2000年より子供ふたり(4歳1歳)連れて、子連れバックパッカー開始。タイ、ラオス、インド、モンゴル、韓国、フィリピン、ベトナムなど。
2005年福岡の西方沖地震などをきっかけに、2006年4月〜1年間の旅を計画。
2006年4月出発。
中南米とアフリカ、中近東を中心に世界一周の予定。

(編集:笠井)

投稿者 suzuki : 09:09 | コメント (0) | トラックバック (0)

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