2006年05月30日

歴史は深い。

 また、歴史を少し戻ると、サラエヴォは、1914年の第1次世界大戦の発端となったところでもあります。

 その事件の現場となった橋も残っています。当時は、プリンツィプ橋だったそうで
すが、ラテンスキー↓と名を変えています。
sara2.jpg

本によると、セルビア人が行ったということで、セルビア人が過去を思い出させる物は残しておきたくなく、変えてしまったらしいです。

 1914年6月28日、この橋で、オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子のフェルディナントが、妃とともにセルビア人の銃弾に倒れました。

 このときの背景としては、それまで300年も続いてきたオーストリアの、かのハプスブルク家が、ハンガリーと共に、ボスニア・ヘルツェゴヴィナを併合したわけです。
それに民族圧迫の危機を持ち、反発したボスニアのセルビア人が皇太子達を射殺したのだそうです。
危険の充満している中に、皇太子は危険を承知でボスニアに行ったということで、起こるべくして起こった事件らしいです。

 セルビアが犯人を引き渡さないことからオーストリアとセルビアの戦いが始まり、セルビアをトルコが応援し・・と火種が全世界に広がっていったようです。

 学校で世界史を習ったときは、民族の問題、と簡単に説明が終わっていただけで、こちらも納得していたのですが、歴史には深いものがあるのですね。
 
 と、考えてみれば、不思議と、昨年、知らず知らずのうちにサラエヴォ関係の本、3冊も出会っていたんですね。
なんか、因縁さえも感じてしまいます。

shimmyo

*本日のshimmyo様の記事は、カテゴリー「中欧」に入っています。

次回からは、サラエヴォ紀行をお届けいたします。

編集:笠井

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投稿者 suzuki : 09:46 | コメント (0) | トラックバック (0)

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