2006年05月16日

ローマの守備

 この壁は西のカーライルのあたりから東のニューキャッスル・アポン・タインのあたりまで、まるで英国に首輪をかけるように長々と築かれていたらしいです。
Hadrians.png

 そして、ローマの北からの敵に対して守るとともに、威圧していたのでした。

 ハドリアヌス皇帝は、イギリスの防衛線をこことし、これ以上は北には行かないとしたわけでした。

 また、4キロほどの間隔で、物見やぐらのような要塞があったようです。
今は、その土台らしきものが残るだけです。
(日本語の説明は、こんなところでもありました)

 ここは丘の上にあり、あたりはなだらかな平原ゆえさえぎるものはなく、はるか北の遠くまで、ここからは見渡せます。

 およそ1900年前ここでローマの兵士達は、守備についていたのですね。

 私が行ったときは雨でしたが、雨が多くじめじめしたこの地方で、彼らはどのような気持ちで守りについていたのでしょうか。

 緑の平原は、見た目のなだらかさが当てにならないと、書きましたが、もう一つ裏切られることは、ぬかることです。
緑に見えても、草の間に水を蓄え、雨の時期など、思いのほか地面はびしょびしょになります。
 
 ローマ時代が終わり、守る者もいなくなると、その防壁の石は、かってに家や建物に使われてしまったのだそうです。
だから、今では、連続もせず、その一部しか残っていないそうです。

 塩野さんの本によると↓
rome.jpg
ローマ帝国というとかなり悪役的な感じで扱われる傾向があるのだそうですが、これはキリスト教の影響なのであって、実際はそうではなかったそうです。
一神教であるキリスト教により、多神教でもあったローマ時代の多くの遺産が破壊されてしまったそうで、残念です。

つづく。。。。

(shimmyo)

※お知らせです。
 6月24日に、佐倉混声合唱団の演奏会を行います。
協演のチェロは、サントリー音楽賞受賞者の鈴木秀美さんに、ピアニストは寺嶋陸也さんと言うことで、是非お勧めです。


編集:笠井

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投稿者 suzuki : 09:57 | コメント (0) | トラックバック (0)

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